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映画「ブレードランナー」が楽しめなかった話

 この話は昨年の冬に遡る。当時、私は映画に嵌っており、ネットで面白いsf映画を調べるとこの映画が取り上げられていた。何でもあのアンドロイドは電気羊の夢を見るか、が原作であるらしい。私はこの小説を読みたいと思っていたから、まず原作を読んで、その後に映画を見てみようと考えた。

 

 

 アンドロイドは電気羊の夢を見るか

  早速この小説を買ってきた私は、一週間くらいで読みあげた。これぞ王道sf、そう思った。アンドロイド、空飛ぶ車、傷みを共有する機械、など世界観は今でさえも未来的なところが多い。そして、アンドロイド専門の賞金稼ぎの主人公の苦悩から始まる、本物と模造品の違いという哲学的問いかけ。やはり私はこういう哲学的な面がsfの醍醐味であると感じるし、この作品においてもそうだと思った。さて、こうして原作を楽しんだ私は万を辞して、ブレードランナーを見た。

 

 ブレードランナー

  映像がすばらしい、それがネットで一番言われていた、この作品の面白さであった。私は心底、わくわくした。あの原作の内容に、すばらしい映像がつくのか…と。さて、映画を見ると、確かに映像はすばらしい。特に、有名なシーンである、スクリーンに移る舞妓さんの映像は圧巻だった。しかし、何かが足りない。そう、私が原作で最も面白いと感じた、哲学的な側面が非常に弱いのだ。原作ではこれを中心として話が進んでいた。しかし、こと、ブレードランナーになると、人間とアンドロイドの戦い、映像の凄さが中心で、原作で重視されていた倫理に対する問いは二の次であった。結局、私は映画を見ている間、終始微妙な気持ちであった。

 

 教訓 

 このことで私が得た教訓は、この二作品は全く別の作品として楽しむべきであるということだ。電気羊は哲学的な面で、ブレードランナーは純粋な娯楽として、それぞれにそれぞれの見所が存在する。

 

 私はどうにも原作を重視しがちだ。これからは原作と二次作品をもっと別々に楽しもう、そう感じた一件であった。